鬱病・アルコール依存症の兄と依存症候補?の私の勝手な日々。 -5ページ目

三月三十一日

だるま太陽  三月も終りです。四月は一般的にスタートの季節です。新たな出だしの時です。 兄は先日、28日に無事に退院いたしました。 昨年の今ごろは、私自身、一体どうなるのか、疑心案偽で兄の家の引越しの為、病院の為、離婚した家族の為に奔走してました。あれから一年。早いものです。

退院して直ぐに留守電に連絡が入っていました。「今回は大変な迷惑を掛けて済まない。これからは一生懸命生きるから」そのような伝言を聞き、私は涙目で彼の退院を心から喜んだ。前向きな彼の発言を聞くことができたことを神に感謝した。今後、彼の生きてゆく道は更に険しいものだろうが、それにチャレンジする意慾を感じ、嬉しく思った。 簡単な病気でないことは知っている。しかし、彼の中に新たな挑戦、意志の芽生えは大切にしたい。

 

 そして、アルコールというどこでも何時でも手に入る魔物に対して、これから病気を抱えている100万人以上の患者のためにも、ここにその経緯を綴って行こうと思う。 兄はまた病院に戻るかもしれない。また、倒れるかもしれない。そんな恐怖を抱きながらも、現在この病気で困っている人、その周囲の人に対して、何かの参考になればとかってに思いつつ、このブログを続けていく。


 どうか、アルコール依存症がこの世から無くなりますように。

 社会的にも、もっと認知され、テレビなどでのCMも制限され、病人が苦しまない世界になりますようにと祈り続ける。

三月二十四日

いよいよ彼の最初の退院の日がやって来ます。 引越しも殆ど終り、彼としてはウキウキ状態です。病院も確かに色々有るみたいで、人権の問題もあるようですが、実際、彼が生活するにあたっての社会性とか秩序の問題はかなり残されたままです。仕事もどうにかこうにか兄の所でやってみさせるといっていますので、一先ずほっとしています。 ぼーっと一日を過ごすようでは直ぐにまた、元通りという破目に陥らないとも限りません。

 これから私達がしなければならないことはあまりにも多く多難な道ですが、そうやって治っていった人達もいるので、希望を捨てずに行きます。 何よりも彼自身の自立を助け、ある程度の援助は避けられないでしょうが、良く話し合って、理解してもらって、明日の為に生きて貰いたいと思います。

 一日も早く、このブログで快復の報告が出来ればと心に念じ、これからの彼を見守っていく所存です。

12月31日

 全くトンでもない一年でした。出だしの良さも兄の病気と入院でハチャメチャになってしまいました。 彼にも酒のない始めての正月が来るのでしょう。 私はどこか淋しげな彼の顔、表情を想像して、少し悲しい年の瀬を迎えています。 しかし、彼の作った、与えられた試練は彼だけでなく沢山の人達と一緒でしょうし、別に特別な奇病でもありませんが、彼が来年一年を健康で、そして、明るく生きてくれることを願うばかりです。 明日には彼の顔を見るのでしょうが、極々普通に接して見ようと思います。 普通の社会生活に戻れる様に、健康でありますように、もう、もう、二度とお酒に溺れることなく、、、、。 神よ彼に力を与えたまえ!!!      そして同病で苦しむ人独り独りにも!!


  

12月8日

  今年も12月、師走の街は木枯しが吹いています。年末ともなるとクリスマスやお正月の気分が段々盛り上がって来るんですが、今年はどうやらイマイチの状態で年を越しそうです。 十一月末に出てくるはずの兄は結局1月まで退院を延ばされました。 本人のフライングだったみたいです。 最近、徐々に本当に徐々にですが、兄が可哀想に思えて来ました。帰る家もなく、仕事もなく、待つ人も居ない彼の人生はいったいこれからどうなるのでしょうか。 目も衰弱したままで、一度アルコールで犯された視神経は治る見込みがないそうで、、、。  昔の懐かしい思い出を他の兄とも話しましたが、今のあの状態を誰が予測できたでしょうか。 神のみぞ知るとと言ったことなのでしょうか。 彼に与えられた過酷な人生はきっと何かの啓示なのでしょう。しかし、この数ヶ月それを考えているのですが、解答はありません。 本の些細なことから呑み始めたアルコールによって、滅茶苦茶になった彼の人生は後戻りすることなくこのまま続いて行くのでしょうか。 様々な試練によって人は成長して行きます。しかし、試練の重さに絶えきれずに消えていった人達がいるのも事実です。 私は人に云わせると人が良すぎると云われますが、悪いよりも良いと勝手に思っています。 彼のことを考えると時々仕事も手に付かなくなってしまうこともあります。 迷いは禁物とその考えを弾き飛ばして、また前向きに考えるのですが、彼も矢張り家族の一員。 何かの解決策を探さねばなりません。一昨日、障害者雇用の新聞記事を送付しました。しかし、条件は厳しいようです。PCの操作を求める所、複式簿記を求める所、様々ですが、どれ一つとっても彼にこなせるものは無いようです。しかし、前向きに生きて欲しいという私の気持ちは分って欲しいと思います。

 私も疲れて来ました。 溜息の連続では何も産まれないと知っているのですが、、、。

11月4日

さて、月日は経ち、もう11月です。7月の事件依頼暫らくは静かにしていたようですが、十月に入って、兄に変化が現れ出しました。部屋を探したり、出た後の仕事を探したり、週末ともなると出歩き始めました。多くの借財も気になるようで、よく電話がかかって来るようになり、終に今週ご対面と相成りました。

随分と痩せて頬が落ちこみ、年寄りっぽくなっていました。表情は相も変わらずちょっと能面を思わせる感じで喜怒哀楽がはっきりしていませんが、話し言葉は呂律が回らないものの、言いたいことは分るように表現できます。しかし、問題はその内容で彼自身の問題の提起と解決の方法です。 問題は彼自身の飲酒にあって、それを否定することは少なくなりましたが、その飲酒の否定の原因が病院にであって、家庭が壊れた悲劇とか借財を作ってしまったことからの後悔ではない事に私は驚きました。 「あんな病院には、二度と入りたくない」という理由で飲酒を止める動機付は筋違いで、迷惑をかけた周りの人や以前掛かっていた精神科の先生に対する謝罪ではなく、個人が病院に居ることの苦痛によって飲酒を繰り返さないと言う単純な動機によってでは、どうやら、今後も怪しい感じがしてくる様で、完全に信じることは難しい状況です。

 今後の話でも、自分を中心に話を進めるために、社会性を感じることが出来ないばかりか、アルコール依存症による社会の患者に対する取り扱いを知らないのでしょうか、かなり甘い考え方で仕事などを見ているようです。就職は以前より市場は広がって緩和されているとはいえ、まだまだ、一般の人にも余談を許せる状態ではありません。しかし、誰かが雇ってくれるだろう、きっと何処かに仕事はあるだろう。という安易さが漂っていて、もし、彼の意志が通らなくなった時を考えると、、、。 もともと、仕事に対しても甘い感覚が在ったのですが、一人前以上にプライドが高いこともあって、元の公務員に戻れると思っている彼の姿は、私には悲しく見えます。既に視力も0.02で私の書いた文章もまともに見えない男がどうやって細かい数字を見たり扱ったり出来るのでしょうか。 ある医学書によるとアルコールで犯された視力に拘る視神経は二度と回復することはないと書いてありました。  このような状態でも話し合いでしたが、私自身、彼の今ある希望を打ち砕くことの残酷さをして良いものかどうか迷った末に何も言いませんでした。しかし、どうでしょう。退院して現実の社会の冷たさ若しくは社会の常識に直面した時、必ず、彼の眼の問題や言葉のハッキリしない問題は就職において露見することでしょうし、それによって自棄になる彼の姿が眼に写るように明らかな場合には如何なる対処が良いのでしょうか。

 病院は退院と言う彼との関係を絶つ手段をもっていますが、我々家族には一生彼の問題を共に抱えなければならない[血」の繋がりがあるのです。


 彼は話の中でこんなことを言いました。

「もう、いい。俺ひとりで生きて行くから、俺のプライバシーに触らないでくれ!!」

 私は悲しさと怒りに任せてこう切り替えしました。

「あんたは自分のやってしまった事を何も理解してない。あなたを抱える兄弟・家族がどれだけ苦しみ、そして心配し、それによってあなたが覚えていないと言う間にどれだけの問題があって、それの解決にどれだけの労力が要ったか、そして、その問題はまだ未解決で、あなたひとりでは解決できないことも。だからはっきり言うけど、あなたにはプライバシーなど存在しないし、逆にこちらのプライバシーに対して起こった様々な事由をあなたはどう責任を取ると言えるんだ。いい加減な権利を振り回すんじゃない!義務も果たせないものが都合の良いことをいうものではない。」 

彼は不満そうにして帰って行った。 次の日には彼からの電話が鳴り、AA会に出るための交通費の請求をしてきた。 

八月二日

 朝方、兄の夢を見ました。彼が酔って私を追いかける夢でした。 日頃、私が彼を避けていることを恨めしげにしている表情が眼に残っています。 寝覚めの悪い夢でした。 ここの所、色々と依存症の方々のブログなどを拝見させて頂いておりますが、皆さん、前向きに人生を捉えられているようで、ちょっと、兄はまだそこまで行かないのかなと思い、今後の道程の長さを感じてしまいます。しかし、酒の道としては彼は35年以上の月日を酒と共に暮らしていたのですから、直すのも一年や二年では到底に困難でしょう。 分かりきったことです。しかし、私達、依存症抱える家族としては、その分かりきったことを、何度も冷静になって考え直すことで彼の存在を認めるしかないのです。


 朝方の夢は、彼の昔にあったことを思い出させました。 彼は夢の中で追いかけて来て、何か誹謗中傷をするのですが、それは彼が自分で物事を運ばずに人にさせる時のポーズなのです。口頭で追いこんでおいて見返りを求める彼独特のやり口です。病気になる前はこんなことも人前ではやらなかったようですが、病気になってからというもの、酒を手に入れるため、飲む機会を正当化する為にはどんな手でも使いました。七月の脱走も母との対面を利用して、遠くまで行ってしまったのですが、全く、後先顧みずに行動する、依存症の顕著な例でしょう。 そして、連れかえられた病院で彼は叫ぶのだそうです「俺は正常だ!」「ここに居ると可笑しくなってしまう」 彼が例え、その時は正常だとしても、病院に入った経緯や今後の生活、このラインを結ぶのは「断酒」しかないのです。幾度かの外出が観止められた挙句、脱走、飲酒、救急搬送、拘束と辿る道には、快復の二文字は存在しません。 否認症とはいえ、自分の置かれた立場を逸するにも程がありました。 さて、は今月の終わりに退院出来るのでしょうか。 答えは多分「NO」でしょうね


 彼が、死にたい死にたいと繰り返していた、鬱の頃、私にはその死にたいが「生きたい」「楽して生きたい」に聞えていました。三年の鬱病生活はアルコール漬けの彼を更に助長しただけでした。 神は彼を通して、人間の生き方、生存する意味を私の耳にひそひそ話のように伝えてくれます。 意味のある生き方は、迷惑を掛けない、自立する、正しく生きる、、、、、、、。色々聞えてきます。私も当然、それに反省をしているのですが、人間の持つ弱さは、これも遺憾ともし難い位にいい加減なことも、良く見えて来ました。


 ただ、これが五十歩百歩の違いだとすれば、この五十歩の差を神は問うているのではないかと思います。

一歩でも悪い所を少なく、良い所を多く、そうして着実に進むしかないのでしょうね。

これは、きっと、アダムとイブ以来の人間の持つ「業」なのでしょうから。

七月二十六日

前回の脱走はどうにかこうにか収集がつきましたが、その後にまたやったんです。 もう、ヒッチャカメッチャカですな。 今度は勝手に出て、不動産屋に飛びこみ、家探し、借りようとしても手附金やら保証人やらが必要になるので、あっちこっちに電話しまくり、八十の母にまで保証人になってくれ、金出してくれと騒ぎまくり、みんなは事の経緯を知っているので、断りまくられて、、、。まだ退院も決まっていないのに、一体どういう気なのでしょうか。兎に角病院から出たい一心でしょうが、今出ればあっと言う間に元の黙阿弥だということが分からないんですな。 事の次第はこれで終って、病人に真っ直ぐ戻れば良かったのですが、、、。私達もそう思っていたのですが、この後、彼はやってしまうのですね。。 この知らせを受けたのはそれから2日後、後見人の兄のところに病院から電話が入り、至急来て欲しいという知らせで、事が暴露されるのです。

 誰も自分のことを助けてくれないと思った彼は、不動産屋さんを出ると、自棄になっていました。その足で、、、呑み屋に入ってしまいました。 四ヶ月間の禁酒も、辛い病院生活も、その一杯でパーになりました。

突然に体に入ったアルコールは前肢に回り、あっと言う間に元通り、急激なた大量にアルコールの摂取により、(多分がぶ呑みしたのでしょう)急性アルコール中毒で救急病院に運び込まれ、緊急処置、住所等が判明しないため、所持品をチェック。そこに病院の名刺があって、また、逆戻りです。

 後見人の兄が見舞ったところ、手足拘束され、喚き散らしていたそうです。もう情けないやら、辛いやらで、兄は目も見られなかったそうです。

 何ヶ月も禁酒して、やっと少しは冷静になったかと思ったのですが、前回の脱走と言い、今回の多量の飲酒と言い、自分の立場を全く弁えない行為には、私達も口をあんぐり開けて茫然自失です。こんなことがこれからも何度も繰り返されると思うと、本人以上に周りは希望を失ってしまいそうです


 兎に角、もう酒など無いと、この世には無いんだと思って欲しいものです。 呑めばどうなるのかは本人が一番良く知っているはずですので。


 全く恐ろしい病気です。 身震いします。PCBRK

こっちが自棄になりたい気分です!!!

まったくもういい加減にしてくれ!


七月九日

兄は本日、脱走致しました。

行くところは分っていますが、、、、。

こちらに追いかける余力なし、、。

全く何を考えて生きているのやら。

家族一同、「無言」です。


あんなバカとは知らなかった。

fla

全く暢気なバカです。      付合いきれません!!

七月四日 こんな人いませんか?

「あのさ、ちょっと酒買ってきてよ。」

「うん、いいよ。」

安請合いしたものの、まだ朝の八時。いくら土曜日が休みでもこんな早い時間にお酒を買いに行くのはちと気が引ける時間帯である。 美知は四階建ての階段を降り駅前のコンビニに向う。出勤する人達が早足で歩いてゆく。この辺りはSに近いので若い人向けのアパレルやPCのソフト開発に携わる会社員が多く、土日も出勤する会社が多い。 それを横目にコンビニに入り、ワイン一本と500の缶ビールを六本を買う。ワインを二本買おうと思ったが流石に気がひける。コンビニの朝の時間帯は缶ジュースやコーヒー、サンドウイッチ等を買う客でごった返す。その中で美知は自分だけが夜の世界を引きずっているような妙な錯覚の囚われる。店員もちょっと不思議そうな顔で酒を袋に詰めている。昨晩3時過ぎに来た時、店にいた店員はさっさと詰め終わると次の客の応対に追われた。だれが考えても、日に何度もコンビニに酒を買いに来るのはへんなのだろう。 こんどはちょっと先の店まで行こうと昼過ぎにはまた買出しにやられることを思ってそう考えていた。 


「さー、おまえもいっぱいやれよ。」

和久は、勢い良くワインを注ぐ。赤い液体が朝の太陽に光って不思議な薄赤い乱射をテーブルに落としている。 自分もお酒は嫌いではないし、騒ぐのも大好きだが、こう毎日、夜は2~3件の梯子酒をして、帰っては呑み直す生活が続くと幾ら好きでも、たまにはゆっくりとテレビでも観ながら、コーヒータイムなどと思うのは普通ではないだろうか。そんな思いが頭を廻っている内に和久はグラスを美知に差し出して、乾杯の仕草をする。あどけない眼が最近はトロンとして、少しヤブ睨みっぽくなっている。焦点が何処と無く合っていないし、口にしまりが無いので言葉もハッキリしない。

昨晩も私は3時半には寝てしまった。平日は仕事があって、終ってから和久のいる呑み屋に行くのだが、この二週間は実家にも帰らずにこの部屋に居どおしなので、美知も飲みつづけている。平日の昼休みに食事をするまでの午前中はだるくて仕方が無い。その午前中、和久はずっと寝ているのである。そう思うと時々腹は立つが、二十年以上働きつづけて来たことを思えば、何となく今の彼の生活は、一休みのように思えて追求をしたり詰問をしたりすることは出来ない。 そういえば、以前に一度、「ちょっと、呑みすぎじゃない?」と訊いた時に「ウルセー、自分の稼いだ金で酒呑んでどこが悪い。お前だって一緒に楽しくやってるじゃないか!」と怒鳴られたことがあった。そう云われればもともこもない。会社を退職するまでは平日の夜逢って呑む程度。美知は実家に帰ったり和久のもとに泊まったりで、丸々一日の彼の生活を知るわけでもなかったし、その呑み屋の勘定も和久が全部払っていたので、さして気にはならない程度の酒だと思っていた。退職後は纏まった退職金も入って、和久は随分大盤振舞いをしてたが、美知にも随分豪華な食事やプレゼントもくれたし、豪気な人だな位に思っていた。それが、徐々に自分が和久の処に居はじめてみると、一日の殆どを酒に費やして、まともに仕事をしようとは思ってないんじゃないかと思い始めていた。


 「ねぇ、そろそろ会社辞めて三ヶ月になるけど、仕事探した方がイイよ。」美知は遠慮がちにいったつもりだが、目の据わった和久は、グイっとワインを空けると、腹の底からでるような太い声で、

 「仕事って、俺が一本立ちするんだからいいじゃねぇかよ。社長よ。社長。もう人に使われるなんてやだよ。」 やだよという言葉を子供みたいに言う。

「でもさ、退職金だってこんな暮らししてたら、何れ底をついちゃうよ。幾ら貰ったかはしらないけど。」

美知が不安げになるのは、和久と一緒になることを少しづつ意識し始めていたからなのかもしれない。

「ばかやろー、俺がひと度動けば、ぱーっと仕事なんか上手く行くんだ。お前のちっちぇー根性で考えられるほどのもんじゃねぇ。俺の器はでっかいんだよ。」

この手の会話には常に自分の器だとか人生の幅だとかを口にする和久だが、彼の友達と酒無しで会っているところを美知は見た事が無い。昼に訪れた客でも、平気で飲み始め何時しか店に繰り出し、気が付けば翌朝だ。そんな暮しが何時まで続くのだろうか。美知は少し不安になった。

 和久は覚束ない足で立ち上がる。最近、ちょっと足腰が萎えて来たようだ。それに眼が良く見えないと言っている。夜中、起きたかと思うと、キッチンのテーブルに座り、酒を飲んでいる事も多い。本人は良く眠れないとこぼしている。 しかし、土日は美知がいる所為か、また友達が来て一緒に呑んだり騒いだり出来る事が嬉しいのか、朝からテンションが高い。 まだ八時半だと言うのに大好きな70年代のブラックソウルを大音響で流し、昔風のステップを覚束ない足取りで躍り始めた。

 また、酒浸りの土日が始まった。



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偶には小説風に書いて見ました。 彼は現在、病院での生活も慣れ、「もう、呑まない」っとしきりに言っているそうです。しかし、あの生活の凄さを知り、看ていた私達家族と取り巻きとにとって、彼の口から出たほんの数秒の言葉を心から信じることは、到底安易には出来ないのです。 酒という誰にでも手に入るものが沢山の人生を壊し、その廻りの生活環境も壊している事実をもう一度良く考えることがどれだけ必要かを改めて今日感じております。 自分たちのおかれている夫々の立場を、責任をもって取り組もうとするならば、もう少しお酒に対しても、麻薬までとはいいませんが制限を設けるべきではないでしょうか。20歳未満だけではなくて、泥酔者には売らないとか、酒の無理強いをさせないとか。社会として然るべき態度と姿勢が必要だと思います。特に否認症である為、この病気は本人は発病時には「私は依存症であるわけが無い」といい切ることを周りがそれ以上に突っ込めないことも病状悪化を左右する大きなポイントでもあると思います。

tokyobay




六月十二日

今日で兄が入院して、丁度、三ヶ月です。 アレからのことを思うとちょっとこちらの方が鬱になってしまいそうです。 あれから十回ほど電話がありました。 どうやって思い出したか?不明です。でも、正気に近づいているのでしょうか。 暑くなって来たので夏服の用意がしたいとか云ってました。そろそろそれを送らなくてはいけないなと思いつつ、今日まで延ばし延ばしでした。 それと云うのもあの荷物を触るのが億劫で、色々思い出したくなかったので、、、。でも暑いのは可哀想なので、今日明日で送ろうと思います。  しかし、話すことは自分のことばかり、、暑いとか、お金がないとか、、自分が何をしたのか覚えていないようです。 新しい家をどうするのかとかも心配しているようです。 「でもね、自分で先ずやらないとね。人を頼ってばかりいても駄目だし、、先ず、病気を治さないとね。。それに退院が決まった訳じゃないでしょ。」こんな会話を何度もしています。 何故、こんなに自己中心的になってしまったのでしょうか。 自分のこと、生活、そのことばかりです。 わたしは兄が出てきても、一切の手助けはしないつもりです。 独りで出来る所までやってみて欲しいのです。元々、他力本願な所があって、自分でできないことは人にさせる性癖がこの病気の根源のように思われて仕方ありません。  


         「お願いだから 独りで歩いてみてくれ!」 そう心から願いざるを得ません。


君の人生は君が切り開いて行くしかないんだよ。 その途上での出会いや困難の中に、他人の少しばかりの手助けがあるかもしれないけど、君の人生に赤い絨毯を牽いて 手を取って歩いてくれる人が出るまでには まだまだ 多くの時間と困難があるんだよ。 早く そのところまで上がって来ないと 人生は 時間は待ってはくれないんだから  強い意志をもって 人生を歩いてください!


 わたしは 今、そう叫びたいのです。