七月四日 こんな人いませんか? | 鬱病・アルコール依存症の兄と依存症候補?の私の勝手な日々。

七月四日 こんな人いませんか?

「あのさ、ちょっと酒買ってきてよ。」

「うん、いいよ。」

安請合いしたものの、まだ朝の八時。いくら土曜日が休みでもこんな早い時間にお酒を買いに行くのはちと気が引ける時間帯である。 美知は四階建ての階段を降り駅前のコンビニに向う。出勤する人達が早足で歩いてゆく。この辺りはSに近いので若い人向けのアパレルやPCのソフト開発に携わる会社員が多く、土日も出勤する会社が多い。 それを横目にコンビニに入り、ワイン一本と500の缶ビールを六本を買う。ワインを二本買おうと思ったが流石に気がひける。コンビニの朝の時間帯は缶ジュースやコーヒー、サンドウイッチ等を買う客でごった返す。その中で美知は自分だけが夜の世界を引きずっているような妙な錯覚の囚われる。店員もちょっと不思議そうな顔で酒を袋に詰めている。昨晩3時過ぎに来た時、店にいた店員はさっさと詰め終わると次の客の応対に追われた。だれが考えても、日に何度もコンビニに酒を買いに来るのはへんなのだろう。 こんどはちょっと先の店まで行こうと昼過ぎにはまた買出しにやられることを思ってそう考えていた。 


「さー、おまえもいっぱいやれよ。」

和久は、勢い良くワインを注ぐ。赤い液体が朝の太陽に光って不思議な薄赤い乱射をテーブルに落としている。 自分もお酒は嫌いではないし、騒ぐのも大好きだが、こう毎日、夜は2~3件の梯子酒をして、帰っては呑み直す生活が続くと幾ら好きでも、たまにはゆっくりとテレビでも観ながら、コーヒータイムなどと思うのは普通ではないだろうか。そんな思いが頭を廻っている内に和久はグラスを美知に差し出して、乾杯の仕草をする。あどけない眼が最近はトロンとして、少しヤブ睨みっぽくなっている。焦点が何処と無く合っていないし、口にしまりが無いので言葉もハッキリしない。

昨晩も私は3時半には寝てしまった。平日は仕事があって、終ってから和久のいる呑み屋に行くのだが、この二週間は実家にも帰らずにこの部屋に居どおしなので、美知も飲みつづけている。平日の昼休みに食事をするまでの午前中はだるくて仕方が無い。その午前中、和久はずっと寝ているのである。そう思うと時々腹は立つが、二十年以上働きつづけて来たことを思えば、何となく今の彼の生活は、一休みのように思えて追求をしたり詰問をしたりすることは出来ない。 そういえば、以前に一度、「ちょっと、呑みすぎじゃない?」と訊いた時に「ウルセー、自分の稼いだ金で酒呑んでどこが悪い。お前だって一緒に楽しくやってるじゃないか!」と怒鳴られたことがあった。そう云われればもともこもない。会社を退職するまでは平日の夜逢って呑む程度。美知は実家に帰ったり和久のもとに泊まったりで、丸々一日の彼の生活を知るわけでもなかったし、その呑み屋の勘定も和久が全部払っていたので、さして気にはならない程度の酒だと思っていた。退職後は纏まった退職金も入って、和久は随分大盤振舞いをしてたが、美知にも随分豪華な食事やプレゼントもくれたし、豪気な人だな位に思っていた。それが、徐々に自分が和久の処に居はじめてみると、一日の殆どを酒に費やして、まともに仕事をしようとは思ってないんじゃないかと思い始めていた。


 「ねぇ、そろそろ会社辞めて三ヶ月になるけど、仕事探した方がイイよ。」美知は遠慮がちにいったつもりだが、目の据わった和久は、グイっとワインを空けると、腹の底からでるような太い声で、

 「仕事って、俺が一本立ちするんだからいいじゃねぇかよ。社長よ。社長。もう人に使われるなんてやだよ。」 やだよという言葉を子供みたいに言う。

「でもさ、退職金だってこんな暮らししてたら、何れ底をついちゃうよ。幾ら貰ったかはしらないけど。」

美知が不安げになるのは、和久と一緒になることを少しづつ意識し始めていたからなのかもしれない。

「ばかやろー、俺がひと度動けば、ぱーっと仕事なんか上手く行くんだ。お前のちっちぇー根性で考えられるほどのもんじゃねぇ。俺の器はでっかいんだよ。」

この手の会話には常に自分の器だとか人生の幅だとかを口にする和久だが、彼の友達と酒無しで会っているところを美知は見た事が無い。昼に訪れた客でも、平気で飲み始め何時しか店に繰り出し、気が付けば翌朝だ。そんな暮しが何時まで続くのだろうか。美知は少し不安になった。

 和久は覚束ない足で立ち上がる。最近、ちょっと足腰が萎えて来たようだ。それに眼が良く見えないと言っている。夜中、起きたかと思うと、キッチンのテーブルに座り、酒を飲んでいる事も多い。本人は良く眠れないとこぼしている。 しかし、土日は美知がいる所為か、また友達が来て一緒に呑んだり騒いだり出来る事が嬉しいのか、朝からテンションが高い。 まだ八時半だと言うのに大好きな70年代のブラックソウルを大音響で流し、昔風のステップを覚束ない足取りで躍り始めた。

 また、酒浸りの土日が始まった。



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偶には小説風に書いて見ました。 彼は現在、病院での生活も慣れ、「もう、呑まない」っとしきりに言っているそうです。しかし、あの生活の凄さを知り、看ていた私達家族と取り巻きとにとって、彼の口から出たほんの数秒の言葉を心から信じることは、到底安易には出来ないのです。 酒という誰にでも手に入るものが沢山の人生を壊し、その廻りの生活環境も壊している事実をもう一度良く考えることがどれだけ必要かを改めて今日感じております。 自分たちのおかれている夫々の立場を、責任をもって取り組もうとするならば、もう少しお酒に対しても、麻薬までとはいいませんが制限を設けるべきではないでしょうか。20歳未満だけではなくて、泥酔者には売らないとか、酒の無理強いをさせないとか。社会として然るべき態度と姿勢が必要だと思います。特に否認症である為、この病気は本人は発病時には「私は依存症であるわけが無い」といい切ることを周りがそれ以上に突っ込めないことも病状悪化を左右する大きなポイントでもあると思います。

tokyobay