八月二日 | 鬱病・アルコール依存症の兄と依存症候補?の私の勝手な日々。

八月二日

 朝方、兄の夢を見ました。彼が酔って私を追いかける夢でした。 日頃、私が彼を避けていることを恨めしげにしている表情が眼に残っています。 寝覚めの悪い夢でした。 ここの所、色々と依存症の方々のブログなどを拝見させて頂いておりますが、皆さん、前向きに人生を捉えられているようで、ちょっと、兄はまだそこまで行かないのかなと思い、今後の道程の長さを感じてしまいます。しかし、酒の道としては彼は35年以上の月日を酒と共に暮らしていたのですから、直すのも一年や二年では到底に困難でしょう。 分かりきったことです。しかし、私達、依存症抱える家族としては、その分かりきったことを、何度も冷静になって考え直すことで彼の存在を認めるしかないのです。


 朝方の夢は、彼の昔にあったことを思い出させました。 彼は夢の中で追いかけて来て、何か誹謗中傷をするのですが、それは彼が自分で物事を運ばずに人にさせる時のポーズなのです。口頭で追いこんでおいて見返りを求める彼独特のやり口です。病気になる前はこんなことも人前ではやらなかったようですが、病気になってからというもの、酒を手に入れるため、飲む機会を正当化する為にはどんな手でも使いました。七月の脱走も母との対面を利用して、遠くまで行ってしまったのですが、全く、後先顧みずに行動する、依存症の顕著な例でしょう。 そして、連れかえられた病院で彼は叫ぶのだそうです「俺は正常だ!」「ここに居ると可笑しくなってしまう」 彼が例え、その時は正常だとしても、病院に入った経緯や今後の生活、このラインを結ぶのは「断酒」しかないのです。幾度かの外出が観止められた挙句、脱走、飲酒、救急搬送、拘束と辿る道には、快復の二文字は存在しません。 否認症とはいえ、自分の置かれた立場を逸するにも程がありました。 さて、は今月の終わりに退院出来るのでしょうか。 答えは多分「NO」でしょうね


 彼が、死にたい死にたいと繰り返していた、鬱の頃、私にはその死にたいが「生きたい」「楽して生きたい」に聞えていました。三年の鬱病生活はアルコール漬けの彼を更に助長しただけでした。 神は彼を通して、人間の生き方、生存する意味を私の耳にひそひそ話のように伝えてくれます。 意味のある生き方は、迷惑を掛けない、自立する、正しく生きる、、、、、、、。色々聞えてきます。私も当然、それに反省をしているのですが、人間の持つ弱さは、これも遺憾ともし難い位にいい加減なことも、良く見えて来ました。


 ただ、これが五十歩百歩の違いだとすれば、この五十歩の差を神は問うているのではないかと思います。

一歩でも悪い所を少なく、良い所を多く、そうして着実に進むしかないのでしょうね。

これは、きっと、アダムとイブ以来の人間の持つ「業」なのでしょうから。